最高裁判所第三小法廷 平成元年(オ)825号 判決 1990年2月20日
上告人
太田道雄
右訴訟代理人弁護士
大矢和徳
被上告人
国
右代表者法務大臣
後藤正夫
右指定代理人
梅村上
被上告人
愛知県
右代表者知事
鈴木礼治
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人大矢和徳の上告理由について
犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、また、告訴は、捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すものにすぎないから、被害者又は告訴人が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないというべきである。したがって、被害者ないし告訴人は、捜査機関による捜査が適正を欠くこと又は検察官の不起訴処分の違法を理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないというべきである(最高裁昭和二五年(オ)第一三一号同二七年一二月二四日大法廷判決・民集六巻一一号一二一四頁参照)。以上と同旨の原審の判断は正当であり、これと異なる見解を前提とする所論違憲の主張は失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官安岡滿彦 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫)
上告代理人大矢和徳の上告理由
原判決には憲法第一三条、同第三二条の違背があるから破棄されるべきである。
一、原判決は、上告人は、憲法一三条の幸福追求の権利のひとつとして、告訴人にも公正な捜査を請求する権利があること、そしてこのように解さないと、告訴に基づく検察官の不起訴処分について司法審査が及ばないこととなり、憲法第三二条にも違反すると主張するが、第一審のとおり、そもそも上告人が主張するような権利の存在を認めることはできないから上告人の主張は失当である旨判示している。
二、憲法第三二条は何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないと規定している。この趣旨については明治憲法下においては、司法権の範囲も民事・刑事の裁判権に限定され、行政機関の違法行為に対しては、司法裁判所とは別に設けられた行政裁判所に訴えて救済を求めることとし(旧憲六一)、さらに、①法律で提訴しうる事項を制限し(概括列挙主義)、②一定の出訴期間を定め、これを限定し、③訴訟手続については職権主義が強調され、④行政裁判所は始審にして終審であったことなどのため、行政事件については、国民の「裁判を受ける権利」の保障は必ずしも十分なものではなかった。これに対し、現行憲法は、民事・刑事のみならず行政事件を含むすべての裁判を、司法裁判所の権限に属するものとし(憲七六ⅠⅡ)、「裁判を受ける権利」が行政事件訴訟を含むすべての「法律上の争訟」に及ぶことを明確にし、もって明治憲法下の欠陥を是正している。」と説かれている(判例コンメンタール憲法Ⅰ三一頁)
又、憲法第七六条は「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより、設置する下級裁判所に属する。特別裁判所はこれを設置することができない。」と規定している。この点についても、行政機関の裁判は必ず更に裁判所で争う道を開いておかなければならないとされている(同憲法Ⅱ二四七頁)。
このことは日本国憲法の下においてはすべての国家機関の権力作用はジャステスコントロールを受けなければならないことを意味している。検察官並びに警察官は行政機関である。検察官が刑事訴訟の当事者として、他の行政機関に比し、特殊性を有していることは否定できないとしても、検察官の権限は裁判所の司法作用の権限と同一でないことは、検察官には、司法権の独立に類似した職務の独立性はなく、逆に検察官一体の原則、言い換えれば上命下服の関係によって規律されていることから明白である。
従って検察事務の特殊性の故に、検察事務に対する救済制度を他の行政処分に対する救済と異にしなければならない理由はない。現行刑事訴訟法が告訴人に起訴請求権を認めていないのは、起訴便宜主義によって、検察官に広範な裁量権が認められているからである。然し、検察官や警察官の捜査や不起訴処分が検察官に与えられた裁量権の限界を逸脱している時は違法であり、違法処分として取消訴訟や損害賠償請求訴訟が認められるべきである。
検察官がなした不起訴処分に対しては検察審査会に審査の申立をすることが認められているが、検察審査会の審査結果に対して、取消訴訟を提起できるという明文の規定はない。
従って、仮に違法な不起訴処分に対する行政訴訟あるいは損害賠償請求訴訟が許されないとすると違法な不起訴処分については裁判所の司法審査権は及ばないことになり、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないことを保障した憲法第三二条の規定は空文に帰することになる。原判決は上告人の主張するような権利の存在を認めることはできない旨判示しているが、原判決の見解は犯罪により害を被った者は告訴をすることができると定めた刑事訴訟法第二三〇条の規定を無視するものである。
告訴に関する規定は単なる捜査の端緒に過ぎないと説く見解もあるが、そうだとすると刑事訴訟法が告訴人に対し、捜査の結果を通知すべきことを規定し、検察審査会法第三〇条が告訴人等に検察審査会への不服申立権を認めていることを説明できないことになる。
検察審査会への不服申立権を認めることは、告訴権が単なる職権の発動を促す意味をもつだけでなく、被害者を保護する為に適正な捜査権発動を求める権利を保障したものであることは明らかである。そしてこの権利は憲法第一三条が定める国民の幸福追求権のひとつでもある。そうだとすれば検察審査会が行政機関であって、裁判所ではないことが明らかであり、かつ検察審査会の議決に対し、行政訴訟提起が認められていない以上被害者として適正な捜査権の発動を求めることができる権利について司法審査の道が開かれていないことになり(石川明検察官の不起訴処分と行政訴訟判例タイムズ四六三号4頁)、憲法第一三条及び第三二条に違反することは明らかである。よって原判決は憲法第一三条及び第三二条に違背していることが明らかであるから破棄を求める。